無課金の話
お久しぶりです。地獄の底から帰ってきたイキリ=ヲ=タク(1997~)です。
シンプルに最近多忙でブログ放置気味だったものの、遂にはてなブログからそろそろ書きませんか?的なメールを浴びてしまったのである。コレはマズい。イキリ=ヲ=タク(1997~)の承認欲求を満たせなくなってしまう。
そういうわけで最近流行りの”無課金”のゲームについてのお話を書こうかなと。
~~~~~
無課金って何でしょうってところからですよね。まずは。
そもそもコレ造語でこんな単語はついぞ10年前までは無かったワードなんですわな。
意味は字面の通り、課金をしていない事。
個人的に”無課金”って単語を作り出したのはスマートフォン向けパズルゲーム、パズドラの力が大きいんじゃないかなと思う次第。次いで追加ダウンロードコンテンツの影響なのかなと。
15年ほど前からコンシューマーゲーム機に結構な革新が起きました。
今のハタチぐらいの人なら皆知っているであろうプレイステーション3、ニンテンドーDSi、Wiiの登場です。
コイツらの何が革新的だったかってゲーム機がインターネットに直で繋がったんですよ。DSiの前身であるゲームボーイアドバンス以前のゲーム機って通信ケーブル前提のローカル通信しか出来なかったのに大きな躍進です。
んでコレが何をもたらしたかというとソフトをダウンロードするという選択肢を増やしおったんですね。
するとこんな事を考える開発者が出てきました
「このゲーム、実はもうちょっと続きがあるんじゃよ…見たいかの…?(有料)」
そもそも論この頃のゲームソフトってパッケージですからハマれなかったゲームってすぐに売り飛ばされたので顧客であるプレイヤーはこの続きを欲しがります。当然。自明。
そうして根付いたのが「追加コンテンツ」って奴ですよ。
しかしコレは100点のソフトを120点にする事もあれば敢えて100点のものを80点に格下げして20点分を別売りするという弊害も引き起こしたんです。最近炎上したのを例に挙げるとファイアーエムブレムの某作品とか。
そしてこの80点のハードルが60点に、60点が40点に…となっていった結果、どうなったか。
皆さんご存知の通り過当競争でコンシューマーゲーム市場そのものが共食いの果てに共倒れしたんですよね。
未だにSEGAとかバンダイナムコ辺りはこの商法で頑張ってますが正直もう永くはないんじゃないですかね。
そのレッドオーシャンで一躍輝いていたのが当時「パズドラ」「ケリ姫」なんかで有名なガンホーです。
この会社の賢いところはこの追加コンテンツに対して不確実性を持たせるという革命を起こした点にあるのであります。
そう。いわゆるガチャ。
そしてその追加コンテンツを利用しているプレイヤーとしていないプレイヤーを一緒の環境でごった煮にしてサービスを運営したらどうなるかってそりゃもうPayToWinまっしぐら。
ある者は煽り、ある者は同情を乞い、ある者は怒り...ここはインターネッツ世紀末か?
結局のところこの基本プレイ無料ってのは0点のコンテンツ、つまりプレイヤー1人分雇う広告費と相殺できる程度の価値しかないと開発者側から告げられているようなもの。
これはあまりにもむごい話ではなかろうかと思うのです。
なら最初からそんなゴミに手を出さず、真っ当な対価を払うコンテンツに触れてほしいなって。無課金なのは別に構わないけどもそれを誇らしげにしてほしくはないなって。
そんな事をふと思う12月です。
財布にも冬が来る。